ああ 少子化 どうする

少子化問題は深刻ですね。
誰のせい?では説明できません。
政府は子育て世代に手厚くという政策をがむしゃらにしているみたいだけど、この問題少しいろいろな目線から考えなくっちゃ。
そこで何回かに渡って少子化関連の私なりの見方(正しいかどうかは不明)をお届けします。
お届けする内容はざっとこんなもの。
・結婚したい?したくない?
・子供が欲しい?
・おひとり様社会

先ずは結婚について
結婚相談30年以上の経験から感じたままを言いたいままにお伝えしますね。

今を遡ること50年位の時代、結婚することは男女とも当然のことととらえられていました。何しろ女性は25歳過ぎるとクリスマスケーキなんて言われていましたからね。25日以降はクリスマスケーキの価値はないという意味合いです。今ではセクハラ、モラハラ、パワハラなどとさんざん言われかねません。

時代は様々な色合いに染まりながら移り、結婚するもしないも個人の自由、同性同士の結婚なども視野に入っています。働く女性、特にキャリアと呼ばれる方々にとって、従来の(半世紀前の)結婚の形は誠に窮屈で自分の夢を成し遂げるには障害としか考えられない。これは結婚しないという要因の一つです。

またキャリアでなくても働くことで十分な生活力を身に着けた女性たちも無理に結婚を考えなくなってきました。

では男性はどうでしょう。女性に比べていつの時代も社会に出て働くことが当然視されているのでさほど違いはないと考えられます。ただここで注視したいのは、社会的に成功するしないで結婚できる男性間の格差は大きく広がってしまったということです。

一時3高と言われた身長、学歴、年収はある意味当然ととらえられ、そこに男女ともに見た目の印象が大きな選択肢として混入してきました。イケメン、かわいい、きれい、かっこいいなどという凡人にはどうしようもないワードの参入です。

選択肢が増えれば選ぶ側も多少のことでは結婚に踏み切れません。親や周囲が勧めてもここがどうとかこうとかでただただ年月が経っていくのです。

自分の望むお相手を求めて年月を重ねた結果、女性は子供を産む時期を失ってしまいます。その結果結婚をしないという選択肢になることも考えられます。これは女性の根本的な希望とは言えません。結果的にそういう選択をしたのです。

男性はというと希望選択肢の増えた女性から選ばれて結婚に至る幸運な方は少数派になってしまいます。もう面倒だから一人もいいかなと考えます。無理やり一人暮らしの気楽さや豊かさを挙げて結婚に対して消極的になります。

世の中美男美女ばかりじゃあるまいし、有能なビジネスマンやオフィスレディで溢れているはずもなく、見渡せばごくごく普通の男女が目に付くのですが。無いものねだりかなあ・・・。

そういうわけで我が国の婚姻数は年々少なくなっていくわけです。今回はここまでです。次回は子供について伝えたいと思います。



おひとり様は優雅?孤独?

結婚、子どものテーマから今度はおひとり様についてです。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: IMG_1861.jpg

結婚をしなければ大抵はおひとり様になるかな?これについても社会は大きく変わり続けているからそうだとも言えません。独り身の者同士が一つのグループを作りながら共存する形態も増えることを考えれば完全なおひとり様にはならないでしょう。

働く女性が当たり前になった今、生活力があり社会性も身につけた女性の考え方は多様化しています。男性は女性の変化にまるで対応できていません。

老人になってから孤独を深める男性がかなり目立ちますよね。女性の変化に対応できない男性は結婚に対しても然りですから結婚できない男性の多さも頷けます。

ただこれは私の偏見、個人的意見で言えば「おひとり様」という言葉には経済的な安定ある存在を感じるのです。

孤独を感じなくて済む仲間との共同生活や独りでの気楽な生活も健康であることが基本!

介助や介護が必要な身体になれば、最終的には殆どの人が一人になる可能性があります。自立してこそのおひとり様だと思いますがどうでしょう。

どうしたら心身共に健康で生涯を全うできるか、だれもが取り組まなければならない課題ですが介護する立場、介護を受ける立場になっても、お互い助け合うおひとり様同士はどうですか?おひとり様は特別な言葉ではなくなりますね。

子どもの存在

前回の結婚から今回は子どもについての見解です。
結婚すると子どもが生まれるということは当たり前ととらえられがちですが、そうではありませんね。
高齢者同士の結婚もあり、また子供は望まない者同士もいます。
欲しくても得られない方もいます。


今の世の中昭和の時代に比べて大きく変わりました。
性的マイノリティが社会に受け入れられ、生きにくさを感じていた人たちが少しずつ救われてきつつあります。
個々の人間がそれぞれの存在や生き様を主張できることは良いことです。

ただそれらに伴って問題となるのが少子化です。
子どもに代わる愛する存在を多くの場合犬や猫のペットに置き換えています。私は犬も猫も大好きで子どもの頃はともに遊びまわっていました。でも犬はやはり犬なのです。番犬だった愛すべき犬たち、ネズミを追い払う猫たち、彼らは人間と心を通わせながらそれらしく生きていました。
今はどうでしょう。かわいい洋服を着せられてペットフードをいただいて人間と同じ部屋で同じように生活している「うちの子」ばかりです。こんな事を言う私はペット愛の強い方々からの反論があるかもしれませんね。

地球上の様々な問題は人間によって生じています。ただ人間は考える力があるので、反省しつつ改善への舵取りををします。このささやかなペットの問題もいつか反省の材料にならないかと危惧します。

本題に戻りましょう。歯止めのかからない少子化問題は、どうすればいいのでしょう。未婚などどんな形で生まれたとしてもすべての子が国で受け入れて育てられたり、海外の移民を受け入れたりと子育て支援の給付金だけでは解決できない別策を講じる必要があるでしょう。とにかく周囲から子供の騒ぐ声が聞こえなくなってきたことは寂しい限りです。